2017年04月07日

徒然草・・・第7段 あだし野の露

 命あるもので、人間ほど長生きなものはない。かげろうのように朝生まれて夕べに死に、なつぜみのように夏だけで春秋の季節美を知らない短命な生物もいる。
それに比べたら、人間の場合は心安らかに一年間を送れるというだけでもなんとのどかな話ではないか。
もしも命に執着すると、たとえ千年の長い年月を過ごしても、それはたった一夜の夢のようにはかなく感じるだろう。
どうせ、永遠に住めないこの世に醜い姿になるまで生きていて何になろうか。
長生きすると、恥かくことも多くなる。
長くても四十そこそこで死ぬのが無難というものだ。
 その年齢を過ぎると、容貌の衰えを恥じる気持ちもなくなり、平気で人前に出て、社交的にふるまおうとする。
さらに日没の太陽のような老齢の身で、子孫を溺愛し、彼らの繁栄を見届けようと、長寿を望み、世俗の欲望ばかり強くなり、深い感動の味わいもわからなくなっていくのは、なんとも救いがたい気がする。
(ビギナーズ・クラッシック 徒然草  角川書店編)

 徒然草の作者は、鎌倉・南北朝時代の歌人・文人であった吉田兼好です。
兼行は、人間の力ではどうあがいてもどうにもならないさまを「無常」と表現しました。
わかさ、美しさ、富、名声、愛など兼行独自のとらえ方を新鮮な驚きで読んでおります。

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 命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろうの夕べを待ち、夏のせみの春秋を知らぬもあるぞかし。
つくづくと一年を暮らすほどだにも、こよなうのどけしや。
あかず惜しと思はば、千年(ちとせ)過ぐすとも、一夜の夢の心地こそせめ。
住み果てぬ世に、醜き姿を待ち得て何かはせむ。
命長ければ辱(はじ)多し、長くとも四十(よそじ)に足らぬほどにて死なむこそめやすかるべけれ。
 そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出(い)て交(ま)じらはむことを思ひ、夕べの陽に子孫を愛して栄ゆく末を見むまでの命をあらまし、ひたすら世をむさぼる心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなむ、あさましき。
posted by さっとん at 00:00| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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