2014年10月02日

毛沢東時代の外交と日本外交正常化    裏切りと粛清の中国近現代史 (P78〜110) 実業之日本社

1970年 国家主席 毛沢東78歳
国務院総理 周恩来74歳

当時、中国はフルシチョフ率いるソ連と核戦争の危険がささやかれる
ほど悪化していました。

同じ社会主義であり、毛沢東の中国はソ連の支援を受け建国されました。
建国前からソ連のいうことを聞いていこうという趣旨で動いてました。
建国後は、「中ソ友好同盟相互条約」が結ばれます。

しかし、ソ連共産党第20回大会でフルシチョフは痛烈なスターリン批
判を展開します。
レーニンとともにソ連を建国したスターリンは、レーニンなき後、独裁
者として多くの人々を処刑しました。

毛沢東はスターリンを神格化・個人崇拝することで自国の権力を運営し
ていたため、スターリンが否定されることは毛沢東を否定されることに
なるため、フルシチョフのソ連への批判を強めていきます。

フルシチョフは対外的にアメリカなど西側諸国との平和共存を図るこ
とで、逆に中国や社会主義国と激しく対立するようになります。

1972年2月ニクソン大統領が中国を訪問し、米中の国交が正常化

対中政策でアメリカに遅れをとった日本は、

1972年9月 田中角栄首相が中国を訪問、「日中共同声明」を発表。
田中角栄は、中国との国交を結ぶために台湾との断交を決意し、周恩来に
表明します。
当時、台湾との断交に反対する勢力から脅迫を受け、殺されることも
覚悟していた田中角栄に周恩来は感銘したようです。

1972年11月に日中国交回復を記念して中国から「カンカン」「ランラ
ン」が送られます。


日本の教科書では習わないこと人間のドロドロな部分が書かれており、
大河ドラマを見ているような感覚で読めてしまいます。

posted by さっとん at 21:59| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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