昨日(27日)は、昼に昭和堂のおじさんとおばさんが「かめ吉に行こや」と誘われたので
天ぷらうどん定食を食べました。
定食についているミニ玉子丼がほんのりした甘さで食べやすく、一番だしのみ使用とこ
だわりの店だけあり心が満たされました。
食べながら近況を話していると大口市長も店に入って来られて驚きました。
おばさんは誰か知らないようだったので、「大口さん、市長です」と小さい声で説明しま
した。
みんなうまいものを知っとるなと思いながら挨拶をすると、「おっ、こんにちは!」と
元気よく返してくれました。
おじさんおばさんとの話題に前日の賢島大学の「川口 祐二先生の前の東南海地震の話が
ありまして、なかなかよかったです」と話すとタイムリーな話題提供だったのか、
「ああ、あの人は確か五か所の人やろ」とおじさんは少し知っているようでした。
おばさんは「昭和19年12月7日の昼過ぎで、ものすごく揺れたのを覚えとるわ」とこの話で
15分ほど話がもちました。(^_^)
話題の貧困は、知識の貧困、経験の貧困、感情の貧困を意味し、口下手の原因は不透明な
思考にある。
沈黙は話の準備期間であり、休憩期間であり、また愚者が体面を保つ期間である。
(英語は絶対勉強するな 鄭 讃容 著)
人前の話に四字熟語や故事、ことわざなどを少しちりばめると、「あれはもしかしたら賢い
のかもしれん?」と思ってもらいやすくなります。
<さっとんを表す四字熟語>
・唯唯諾諾(いいだくだく)
物事の善悪や是非にかかわらず、他人の言動の言いなりになる様子。
中国古典の『韓非子』に由来。
・右顧左眄(うこさべん)
周囲の様子ばかり気にして、なかなか決断しない優柔不断な態度のこと。
「顧」は振り返ってみること、「眄」は横目で見るという意味。
<さっとんを表す故事成語・ことわざ>
・百年河清を俟つ(ひゃくねんかせいをまつ)
常に濁っている中国の黄河の濁流は、澄むことがない。
そんな黄河の水が澄むのを待つように、いつまで待っても実現する見込みのない
ことのたとえ。
「さっとんの仕事の改善を望むのは、百年河清を俟つようなものだ」と用いる。
大人の国語力 話題の達人倶楽部 編 参照
2012年01月28日
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