2015年08月27日

マンガ 日本の歴史2 邪馬台国と卑弥呼のまつりごと  石ノ森章太郎

倭国乱れ、相攻伐すること歴任、乃ち(すなわち)、共に一女子を
立てて王となす。
名づけて卑弥呼という。
鬼道(きどう)に事え(つかえ)、能(よ)く衆を惑わす。
年已(すで)に長大なるも、夫婿(ふせい)なく、男弟あり、佐けて国
を治む。
王となりしより以来、見る有る者少なく、婢千人を持って自ら侍せしむ。

(『魏志』倭人伝)

2〜3世紀の弥生時代後期は、農耕が発達し、高床式倉庫の保存システ
ムにより富が形成されました。
それにより、身分・階級・政治組織が発展し、100ほどのクニグニが乱立
してました。

1984年鳥取県で荒神谷遺跡が発見され、多量の武器・祭器が発見された
ことは大変衝撃的なことでした。

100ほどのクニグニは戦いにより、30ほどに集約されていきました。
しかし、神の意志を尊重しない王たちに、人々の心は離れていくのでし
た。

当時、難升米(なしめ)、都市牛利(としぎゅうり)の邪馬台国が力を持っ
てました。
しかし、なかなか30国を統一することができませんでした。

そこで伊勢志摩サミットの如く、クニグニの王が一堂に会したのでした。
難航した末の結論として“卑弥呼”を30国の王とすることが決定されまし
た。

卑弥呼はすぐに「魏(ぎ)」に遣いを送り、「親魏倭王」の証印を得る
ことに成功しました。
魏からは、当時神が宿り映し出すものとして敬い畏れられていた鏡を100枚
送られてました。
それが卑弥呼の神秘性をより強めることになります。

狗奴国(くなこく)との対立の時も、使節を魏に派遣させ助力を求め、撃
退に成功します。

卑弥呼の死後、男王が擁立されますが世は混乱しました。
そこで卑弥呼の宗女である13歳の「壱与(いよ)」を擁立します。
壱与は卑弥呼の路線を継承し、魏に20人を使節として派遣するのでした。

(スマートノート150825 P22)
posted by さっとん at 22:33| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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