2014年01月22日

明日(23日)は、賢島大学で川口裕二先生の「里海と海女ちゃん」の講演があるので、以前川口先生から学んだことを復習してみた。

 毎月第三木曜日の午後7時から賢島大学で伊勢志摩について学んでます。
地元のことをもっと知りたい方は是非一度顔を出してみて欲しい場所です。

明日は、三重大学特任教授でNHKラジオで毎晩11時20分から放送されてる
"ラジオ宅急便"の「ふるさと通信員」の川口裕二先生の「里海と海女ちゃ
ん」の講演があります。

 2009年の8月に「伊勢志摩の魅力とあるべき姿」という題目で、海女(
あま)は日本に約2000人いるのですが、その半分は鳥羽志摩の海女です。
 
昭和35年頃には全国で約1万人の海女がいました。
一番の収入源である"あわび"は、水質の影響をもろにうけやすく、昭和40
年の最盛期は744トンの水揚げがありましたが、最近は76トンと激減して
しまいました。

最初は先生も「乱獲」が原因かと考えたそうです。
ところが、海女の仕事では、操業日数や一日にもぐる時間帯、10.6cm以下
の貝は取らないなど厳しいルールがあります。

高度成長時代に志摩の観光開発が、磯を荒らし、海を汚してしまい、その
反動で健康な海草が育たなくなりました。

川口先生は仕事柄、全国を回られるのですが、全国27ある国立公園の中で
伊勢志摩国立公園ほど荒れ果てた国立公園はないと話されました。
一度壊した環境を取り戻すには100年以上かかります。
「海は最高の宝」だという共通の認識が広がってほしいです。

 2010年10月には「自然環境を守り育てることをどう導くか」という題目
で話をしていただきました。
干潟(ひがた)が再生できればあまも(海草)がはえてきれいな海が蘇ること
も可能。
地域の自然を守ることは、そこに住む人に大きな恩恵をもたらします。

 2012年1月には、「今考えなければならない防災、大地震対策、前の東南
海地震を振り返る」の題目で、戦前であった昭和19年12月7日に起こった
"東南海地震"の体験談を話していただきました。

当時、国民小学校の6年生であった川口少年が、昼の図工の時間にぐらぐら
っとそれまで体験したこともない大きな地震に襲われます。
他の生徒は草履だったのですぐに逃げられましたが、川口少年だけは運動靴
がはけず、下駄箱のざら板の上ではいつくばっていたのでした。

中村先生(当時22,3歳)が「山に逃げろ」と叫んだそうです。
津波の様子が書かれた「東南海・南海地震誌」は、賢島大学に残されています。
posted by さっとん at 22:37| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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