今朝はインフルエンザの予防接種を池田ファミリークリニックで打ってもらいました。
パソコンでもウィルス対策が叫ばれる中、インフルエンザも転ばぬ先の杖のようなもので
対策だけはしっかりしておく方がよいとの判断からです。
(本来なら11月頃に打つのがベストのようです)
午後7時からNHK通信員の川口 祐二先生の「今考えなければならぬ防災・大地震対策
前の東南海地震を振り返る」では昭和19年の東南海地震を小学6年生の時に実際に体験
された話だったので、どれほど怖ろしいものであったのかが伝わってきました。
最初に“伊勢志摩を熱く語ろう!”では、明治生まれの志摩の偉人5名について話し
てくれました。
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嶋田青峰(しまだせいほう)・・・的矢出身の俳人 森鴎外とも接点があった
シナ人(中国人)に日本語を教える
特高に引っ張られて拷問を受け、釈放後まもなく死亡
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見瀬辰兵(みせたつへい)・・・渡鹿野島出身 真円真珠
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伊藤里き(いとうりき)・・・片田出身 日本人と別れた後、アメリカ人と結婚
三重県の移民の先駆け
片田の方がたくさん移った
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平賀亀祐(ひらがかめすけ)・・・片田出身 画家
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佐藤 忠勇(さとうただお)・・・的矢かきの生みの親
昭和19年12月7日 川口先生が国民学校6年生で昼の1限目の図工の時間にぐらぐらっと
きました。
ほとんどの生徒は草履だったのですが、たまたまくじで当たった川口少年は、運動靴を履い
てました。
ところが地震の時は揺れて運動靴がはけません。
草履の生徒はさっと逃げていけます。
下駄箱のざら板の上ではいつくばっていたそうです。
その時に22,3歳ぐらいで担任だった中村先生が「津波が来るから山に逃げろ!」と指示
してました。
その後に起こった津波の様子も「東南海・南海地震誌」(賢島大学にあります)に残されて
ます。
1923年の関東大震災では、91344人の方が亡くなりましたが、その時に何千人もの朝鮮
人を虐殺したことも知りませんでした。
2000年2月22日に北川知事が芦浜原発を断念したことで、もし計画通りに進んでいたら
三重県民が大変悩まされるところでした。
今その跡地は、中部電力の不良財産となってます。
国府小学校の校長・山口先生が沿岸から400mで海抜3.1mの場所にある学校で、生徒
の命を守れるよう非難ができるだけ迅速に行える対策を施していることを話してくれま
した。
また聴講生で国府で昭和19年の東南海地震を経験された年配の方の話も実際の体験した
時の様子を話してくれました。
こうした経験が忘れ去られることなく、防災の意識を持ち続けるにはどうすればよい
かなどの質問もありました。
天災はいつくるかわかりませんが、備えあれば被害を最小にできるような気がします。

(川口先生)