2011年08月01日

一坪80円

 昨日の日曜日は、たばね苑で中元を買って立神と昭和堂に持っていきました。

 立神のおじさんは、車の免許を返上したので今は足が弱ってしまわないように1、2キロウ
ォーキングをされていると話されました。

なかなか鵜方まで出てくる機会がないと思い、ぶぶのたこ焼き(しょうゆ、ソース)も持って
いったら、「なかなかうまい」と喜んでいただきました。


 今日は昭和堂のおじさんが4時頃来られて、鵜方の昔話を教えてくれました。
昭和堂のおじさんは戦争が終わった昭和20年より教員として志摩地域の学校に赴任されてま
した。

その頃は石油もなく、車に乗っている人は皆無だったそうです。

おじさんは毎日自転車で甲賀(こうか)まで通勤していたとのこと。
ごはんもおかずといえばたくあんと梅干ぐらいで、「あれでよく生きてられたもんや」と言
われました。



 昭和35年の頃は、サラリーマンが4万円ぐらいの時代に喪服の着物は2万円、ミシン2万円
たんす2万円ほどだったそうです。

その当時、近鉄(賢島カントリー)が土地を買ってくれるということで、ほとんどの人が一坪
80円で売りました。

〇〇さんだけは「おれは売らん」と粘って坪200円で売って大きいビル建てたけどの。

男は結婚する時にわずかばかりの土地をもらえたが、女が結婚する時は花嫁道具として大変
なお金がかかるので、女の子はいらんという時代だったそうです。

 今値打ちのあるものがこの先も値打ちを持ち続けることはほとんどないということを歴史
は物語っているように思われます。


昭和戦後史  http://shouwashi.com/transition-salary.html

 
posted by さっとん at 19:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
blogram投票ボタン
検索
 
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。