昨日昼過ぎ頃、東山語学研究所の東山先生が“棲鳳寺(せいほうじ)だより”を持ってきてく
れました。
東山先生は、小学校6年生の時に英語塾でお世話になりました。
当時、鵜方で英検1級を持ってる人は東山先生しかいないと言われ、生徒も50人以上通って
いたように記憶しています。
大きな災害や事故があって多くの人が亡くなった時や、自分の周りの親しい人や家族が亡くな
った時というのは、普段はあまり考えることのない「生」や「死」について考える貴重な機会で
もあります。
人によってその長さは異なるでしょうが、その悲しい出来事をしっかり受け止めるだけの時間
が必要になります。
悲しみや寂しさ、むなしさといった大きな感情の起伏がある程度収まる、真摯に自分の感情と向
かい合うための時間です。
この期間は、ともすると自分が何もしていないという無力感に苛まれるかもしれません。
修証義というお経の冒頭にも「生を明らむるは仏家一大事の因縁あり」とあるとおり、我々仏
教徒にとって「死」を明確に認識した上でより良く「生きて」いくための努力をしていく事はと
ても大事なことです。
普段忙しく仕事をし、家事に追われ、人との付き合いに多くの時間を取られる生活の中では、
なかなか思いを馳せる機会がないと思いますので、少し心が落ち着いたこの時期に是非この
大きな命題について深く考えていただけたらと思います。
(棲鳳寺(せいほうじ)だより 第8号 平成23年6月 住職より 一部抜粋)
平成23年の年回忌表を見ると、今年が自分の母親の七回忌になることがわかりました。
月日の流れるのは早いなと改めて実感しています。
2011年06月14日

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