一回目測定





完熟トマト煮(ソーセージ 鳥もも肉 しめじ きゃべつにんじん) のり ごはん ホットミルク

完熟トマト煮(ソーセージ 鳥もも肉 しめじ きゃべつにんじん) ミンチコロッケ(ハッピー) ごはん きむち バナナ

完熟トマト煮(ソーセージ 鳥もも肉 しめじ きゃべつにんじん) ごはん 納豆

亀田 穂の香 はちみつ揚げ1 海苔かき餅1 のり巻きせん2
森田さんは、昭和46年(1971年)から平成12年(2000年)まで志摩観光ホテルに勤めてられました。
志摩の観光の歴史は、志摩観光ホテルの歴史といっても過言ではないのですが、黎明期(夜明けにあたる時期)の志摩観光ホテルは、昭和21年(1946)11月全国で11番目の国立公園に指定されたことより、志摩の観光開発は始まります。
昭和24年(1949)10月外貨獲得と戦後復興、その頃多かった欧米人用のホテルとして、賢島(かしこじま)に志摩観光ホテル(株)が設立され、昭和26年(1951)より営業を開始。
しかし、その当時は水の確保に大変で、いろいろな場所に井戸を掘ったり、よそから水を運んだりと大変苦労されたそうです。
昭和40年(1965)8月13日に伊勢道路が開通。
昭和43年(1968)11月7日に志摩用水ができ、水の心配から解放されます。
昭和43年以降、官民あげての観光開発ラッシュで、新賢島荘増築、別荘地分譲開始、マリンランド、遊覧船、大橋開通、近鉄特急と伊勢志摩は大きく変わっていきます。
昭和45年(1970)には大阪万博で旅行ブームが起こります。
志摩観光ホテルの料理と言えば高橋シェフというぐらい有名ですが、開業当初は大阪ホテルの当時、料理の神様と言われた小島料理長を迎えます。
ホテルの高い評価は、開業した当時のお客さんによって決まります。
英虞湾(あごわん)を愛された昭和天皇はよく志摩観光ホテルを利用されました。
川口社長は、志摩観光ホテルに「風格」をつけるために社員の接客サービスの教育を徹底します。
ホテルマンとして人間として教養をつけ、職場の雰囲気を明るくさせることで、お客さんにまた来たいと言う気持ちを起こさせることが収益をあげ、経営を安定させると説きます。
平成7年には年商100億、従業員1300人(パート300人)となり、地域の雇用にも大きく貢献します。
志摩には横山、大王崎の灯台の水平線、登茂山(ともやま)など観光資源やマリンランド、ゴルフ場、スペイン村、200以上の民宿、ホテルなどの観光施設がたくさんあります。
これほど恵まれた地域は日本でもそうないのです。
伊勢には20年間に1億人がやってきます。
誘客のチャンスがないはずがありません。
観光を産業としてとらえ、志摩が豊かになり、住民が生きていくことに不自由がなく暮らせることが志摩ホスピタリティー(おもてなし)にもつながるはずです。
真珠養殖を廃業される方が今年も多いようですが、たとえば海女さんが生活できる漁場を作り、守ることなどできることはいっぱいあるのです。
今日の話は、仕事に対する取り組み方をもう一度考え直さなければと自分自身にとっても大変有意義な話でした。