2009年04月08日

「がんばりましょう」の前にしなければならないこと

今朝、回覧版で配られてきた広報志摩の‘じんけんコーナー’の『「がんばってください」と「がんばりましょう」』というコラムは僕自身はどうもなあという気持ちになりました。

 雇用環境の悪化が「格差社会」どころか「貧困社会」を生み出し、大人社会の格差が子供にも生じているのは誰もが知るところです。


 2ヵ月前に友人の子供のいじめの問題が深刻で、「その子とクラスが同じなら僕は学校へ行かない」と言われたので先生に相談に行ったそうです。

いじめる子供の家庭も複雑でその子供自身も虐待を受けてるとのことで非常に困難な問題を抱えてます。

 『同和教育がこれまで最も大切にしてきたのは、‘しんどい子供’によりそい、その子供の自己実現を図ること』なのだそうです。

学校に重たいものを背負って登校してくる子供たちがたくさんいるという状況を大人は気づいてあげなくてはいけないし、そんな子供たちは自分を守るために一生懸命がんばってるのです。

そんな子供に「がんばってください」も「がんばりましょう」も無意味なのではないでしょうか?

 多くの親がクラス分けで先生に申告したようですが、その親の子供だけに要望に答えてるような学校に何が期待できるのでしょう。

問題の本質を学校全体、社会全体で話し合うべきで、むやみに「がんばりましょう」という無意味な言葉は本人を追いこむだけのように思います。

広報しま 4月号(PDF)
    
posted by さっとん at 22:32| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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